昨々品々

サクッと読めます

2022-02-20

人は自分の辞書を作って、それを片手に生きている。そして、自分以外は他人である。
つまり、他人と話すということは、違う辞書を使っている人と話すということ。
このことを両者(その場にいる全員)が念頭置いてコミュニケーションを取らないと、場が整頓されず、歯車は回らなくなる。

親族は私を他人だと思っていないようだ。

私はあなたが思ってる以上に物事をよく考え、思ってる以上に何も考えていない。

現状や感情を伝えようと頑張ったが、頑張っても結果がついてこなければ。2人きりのコミュニケーションにおいては結果が全て。与える印象が場になってしまうから。

私はもう言うことがないけど、生家の人には聞きたいことも言いたいこともあるらしい。

段々、明度が上がっていく。
私がここにいる理由が、生家に埋められてしまうのが悔しい。絶対に違う。私は私の意思でここにいる。ここにやってきて、また違う場所へ行く。違う場所でも私は私だ。私の意思で動いているのだ。そう唱えるけど、「他者がいるから自分がある」という根元の考え方が邪魔をする。考えないでほしい。考えがあるから邪魔になる。もう、何も考えたくない。何も思いたくない。何も感じたくない。

そういう日もある。